史跡・碑等」カテゴリーアーカイブ

槇村浩

--- 2013年6月13日 (木) ---

高知県高知市生まれ、プロレタリア詩人。1938年に病没。享年26歳。
桜馬場にある詩碑には代表作の「間島パルチザンの歌」の冒頭の一節が刻まれている。
槇村浩に関する記事については、ブログ高知にリンクが整理されて載っている。
makimura

間島パルチザンの歌

思い出はおれを故郷へ運ぶ
白頭の嶺を越え、落葉松の林をこえ
蘆の根の黒く凍る沼のかなた
赭ちゃけた地肌に黝ずんだ小舎の続くところ
高麗雉子が谷に啼く咸鏡の村よ
雪溶けの小径を踏んで
チゲを負ひ、枯葉を集めに
姉と登った裏山の楢林よ
山番に追はれて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に
背負縄はいかにきびしく食い入ったか
ひゞわれたふたりの足に
吹く風はいかに血ごりを凍らせたか

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生垣のアベリアからはかすかな香りがただよっていた。
abelia

近くのベンチでは家族連れの姿。
kazoku

寺田寅彦

--- 2013年5月30日 (木) ---

桜馬場の北の端、こんもりとした楠の下に寺田寅彦の文学碑が建っている。
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刻まれているのは随筆集 花物語 にある、「昼顔」の書き出しの部分だ。
寅彦が幼少のころよく遊んだ場所と思われる。
所々に昼顔が咲いていたとあるが、いまここにはない。
(花物語は青空文庫で読むことができる)
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この場所から江ノ口川に沿って100m程遡ると桜馬場橋がある。
その東側のたもとに雑草に埋もれるようにしてひっそりと咲いている昼顔を見つけた。当時から延々と命を受け継いできたものにちがいない。
着物に草履ばきで駆け回っている寅彦に思いを馳せた。
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寅彦の住んでいた家は、城西公園北側 江ノ口川を挟んで向かいにある。
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先の大戦、高知空襲でほとんどを焼失したが、現在、元の場所に復元され「寺田寅彦記念館」として一般に公開されている。
高知を訪れたときは足を延ばしてほしい。
寅彦に関しては、寺田寅彦記念館友の会に詳しくでている。
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日中不再戦の碑

--- 2013年5月16日 (木) ---

センダンの花がはらはらと雪のように散り始めた。
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桜馬場遊歩道沿いには5つの碑が建っている。
その1つに日中不再戦の碑がある。
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過去の侵略戦争に対する反省、友好と平和の礎として建立したと記されている。
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日本は日清戦争以来、中国に対し侵略行為を続け、特に1934年の「満州事変」以後、15年間に及ぶ戦争は人道をおかす三光作戦などによって1千万人余の中国人民を殺傷した。この碑は日中国交回復20周年にあたり侵略戦争に対する反省の証として、またゆるぎない友好と平和の礎とするため建立された。


季節の移ろい(2013/5/16)
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