その大手門に入る手前に野中兼山の邸宅跡の碑がある。兼山は土木、治水、港湾などの工事に手腕をふるい土佐藩の財政を豊かにしたが、独裁、圧政をとったため後年失脚。一族の男子は一生、女子は子を産めなくなるまで監禁され野中家は絶えたとある。映画にもなった大原富枝の「婉という女」の婉は娘で幽閉がとけたあと高知に帰り医師として開業、名医といわれるまでになった。
土佐の偉人2
コメント(2件)
--- 2015年2月12日 (木) ---
--- 2015年2月12日 (木) ---
その大手門に入る手前に野中兼山の邸宅跡の碑がある。兼山は土木、治水、港湾などの工事に手腕をふるい土佐藩の財政を豊かにしたが、独裁、圧政をとったため後年失脚。一族の男子は一生、女子は子を産めなくなるまで監禁され野中家は絶えたとある。映画にもなった大原富枝の「婉という女」の婉は娘で幽閉がとけたあと高知に帰り医師として開業、名医といわれるまでになった。
--- 2015年2月11日 (水) ---
--- 2014年12月12日 (金) ---