会津若松

--- 2015年11月3日 (火) ---

先月末2泊3日で会津地方へ行ってきた。紅葉はすでに終わりちょっと残念だったが天気には恵まれいい旅になった。

震災の講演があり、原発の被害にあった方の話を聞くことができた。生の声からは心の底から噴き出るような憤り、哀しみを感じ身につまされる思いがした。国によって被害地域は線引きされある家は補償が出るがすぐ隣の家は何も出ないという理不尽な仕打ちがされている。4年が過ぎ人々の記憶から消えようとしているいまも必死に復興に取り組んでいる福島を記憶にしっかりととどめ、どんなに小さことでもいい支援していかなければなりません。
国は処理できない原発の廃棄物をそのままにして再稼働は進め、太陽電池による電気の買い取り価格は段階的に下げている。電力会社の一部は「買取が増加すると停電などのトラブルが発生する恐れ」と言って買取を一時中断したこともあった。いま日本は大震災の教訓は全く生かされないまま急ぎ足で昔に逆戻りしていっている。

来年4月に電力は全面自由化され一般家庭でも電力会社を自由に選ぶことができるようになる。導入当初地方は難しいが、都市部ではすぐにも原発を使わない会社を選んで電力を買うことができるだろう。競争で安くなると言っているが、少しくらい高くても原発廃棄を進める会社を選びたい。それも福島復興のための小さな一助だと思う。

安達太良山ロープウェイ
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展望台からの眺め
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桧原湖遊覧船からの磐梯山。明治21年に噴火したとき吹き飛ばされた噴石などでせき止められてできた。その噴火口南北に3km余りというからでかい。
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五色沼(毘沙門沼)。曇っていて寒かった。
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わずかに沼入口にあるモミジは真っ赤に染まっていた。
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会津若松城(鶴ヶ城)
tsurugajo

会津若松」への1件のフィードバック

  1. gorou's\papa

    貴君のおっしゃる通りです。

    4年経ったらまたあいましょ♪
    なんて三波春男が歌ったが、
    すっかり忘れられて今や風化しそうな現在。
    それでもやるか!五輪を!巨額の金を使いインチキまみれで
    少数アスリートのために・・・

    原発も何事もなかった様に再開する動き・・・
    そもそも委員会のメンバーが政府お気に入りの人では話にならない・・・

    安保の際もお気に入りを選んだつもりが
    違憲だと言われて人選した船田の大失態!
    でも関係なく予定通り物事が運んでいる。

    沖縄も異議を唱えているが、わが国の三権分立は怪しく
    一馬鹿総理の意思で決まってしまう。
    今までも出来の悪い総理はいたが、
    学力なく常識もなくただただ親父の名前を引き継いで議員になった
    ばか者に国を任せるのは凄く危険!
    これ以上日本はタカ派と思われたくない。

    会津若松懐かしい・・・
    父親が私が小学3年頃から会社に入り間もない頃まで
    奉職していた場所です。

    当時は鶴ヶ城跡では競輪が行われていた。
    親父は教職の身分にありながら競輪ファンであった。(笑)
    二年ぐらい前から女子競輪が復活したが、
    私は昔の女子競輪も観た。

    会津若松の載っていたもので・・・

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